『野崎くん』に見る四コマアニメの原則 前編

月刊少女野崎くん』には「四コマ目」っぽいカットというのが頻繁に出てくる。

例えばこのカット。いかにも「四コマ目」っぽいカットだ。原作が四コマ漫画なので当たり前といえば当たり前なのだが。ちなみにこのシーンは原作1巻15ページの四コマ目にあたる。


四コマ漫画といっても昨今では四コマ目で必ずしも落ちない「ストーリー四コマ」「非定型」といったジャンルも多い。が、『野崎くん』は四コマ目で必ず落ちるタイプの四コマである。いつだって四コマ目に最大のインパクトがあるわけだ。


故にアニメの『野崎くん』でも「四コマ目」にあたるカットは最もわかりやすく示す必要がある。上の例のように、イメージBGやQTBといった誇張表現を使ったり、漫画と同じキャッチーな構図を再利用して、今ここが「落ち」であることを盛大にアピールする必要があるわけだ。


が、アニメ『野崎くん』では、時として「四コマ目」であることがわかりにくいカットや絶対にわからないようなカットが出てくることがある。わざと「落ち」のインパクトを弱めたり、「落ち」ではないものにしていたりする。セリフが原作と全く一緒にもかかわらず、だ。それは決してボケ潰しなどではなく、ちゃんとした意味があってのことなのだが…。


ここで重要なのは、同じ「四コマ目」のカットでもわかりやすいものとわかりにくいものがあるという点である。


そもそも四コマ漫画はコマが何番目にあるかという情報に強く縛られるものだ。どんなコマでも四コマ目にあれば落ちになり得る、という指摘はあながち間違いでもない。が、アニメにはそういったコマ位置の力が働かない。故に別の何かで「四コマ目」であることを示してやる必要がある。


その別の何かとはすなわち“演出”である。


本稿では『月刊少女野崎くん』という四コマアニメの演出について考えていく。そこでまず初めに考えるのは「わかりやすい四コマ目をつくるための原則」である。そこを起点とし四コマアニメ独自の演出形態を探っていく。


先に本稿の結論を言ってしまうと、その“原則”とはツッコミやボケの前に「テンションのギャップをつくること」である(先ほどのイメージBG等もこの原則の中に含まれる)。コマの位置を知り得ないアニメにおいて、そのギャップを大きくすることこそが「四コマ目」であることをアピールする唯一といっていい手段なのである。

目次

前編 四コマアニメの大原則
1.四コマ漫画⇒アニメの原則
2.ギャップで「四コマ目」をつくる
3.ギャップの具体例
4.四コマ目にならなかった四コマ目


中編 『野崎くん』の四コマ的表現
5.BGMは四コマごとにだいたい一回流れる
6.四コマ目のカット割り(1カットの場合)
7.四コマ目のカット割り(2カットの場合)
8.四コマにかかる時間


後編 『野崎くん』のアニメ的表現
9.原作にはない芝居(1)「反応」
10.原作にはない芝居(2)「気付き」
11.セリフ・モード・カット
12.まとめ

1.四コマ漫画⇒アニメの原則

本稿を始めるにあたり、まず四コマ漫画とそのアニメ化に関する原則を三点提示することで、その認識をある程度共有しておきたいと思う。


その三点とは
(1)四コマ漫画の構成「起承転結」について
(2)各コマと「起承転結」との対応
(3)各コマをアニメ化した際に見られる代表的な演出
である。以下に作成した対応表を示す。

あくまで定型四コマ(四コマ目で必ず落ちる四コマ)の基本形である。例外も多い。それでもこの表から示唆されることは多いように思う。中でも重要であり本稿で着目したのは、(3)に記載された様々な演出によって「前振り」と「落ち(ボケやツッコミ)」の間にテンションのギャップがつくられるという点である。

2.ギャップで「四コマ目」をつくる

漫才では前振りと落ちの間にギャップをつくる。そのギャップを受け、人は笑うのだ。ではそのギャップとはどんなものだろうか。たとえばそれは「予想の裏切り」から来るものだ。


『野崎くん』から例を出すと
・告白したつもりが、何故かサイン入り色紙を渡された(アニメ1話)
・自転車に二人乗りできると思ったら、四輪自転車(タンデム車)だった(アニメ1話)
・可愛い系男子かと思ったら、チャラ男だった(御子柴初登場シーン)
・男かと思ったら、女だった(鹿島初登場シーン)
等々…。予想していたこととは全く違うことが起こる。これが「前振り」と「落ち」の間にあるギャップの正体だ。


このギャップを引き立てるために、「前振り」ではタメをつくり、「ボケ」や「ツッコミ」で誇張表現(QTBやSE)を使用する。そうすることで映像にテンションのギャップが生じる。ギャップが生じることで「四コマ目」が「四コマ目」として初めてアニメに定着する。

3.ギャップの具体例

では、どのようにしてギャップがつくられるかというのを具体的に見ていきたいと思う。


以下にアニメ3話Aパートでのあるやりとりを例として示す。原作では1巻71ページ一コマ目〜四コマ目にあたる部分である。シーンの状況を詳しく伝えるため、各カットの画像、そこでのセリフ、SE、カメラワーク、BGMの流れる範囲(矢印)を合わせて載せている。また、各カットが何コマ目に該当するかも提示している。このシーンでは1カットが一コマに綺麗に対応した。さらに、各コマと起承転結との対応関係、ギャップの位置も表記した。

ここでの話は「佐倉と御子柴が自分たちのグループを鹿島にどう説明しようかと苦慮するのに対して、野崎が粗雑な回答を述べる」というものである。ギャップの位置は予想が裏切られる箇所、つまり図にも書いてある通り、三コマ目の御子柴(承:前振り)と四コマ目の野崎のバストショット(転:ボケ)の間である。


では、ギャップに由来するアニメの手法はどれか。図の情報をもとに、以下に五つ挙げる。
(1)BGMのON/OFF
(2)二コマ目、三コマ目におけるタメ(前振り)
(3)カッティング(カットを割ったということ)
(4)カメラワークの変化(TUからFIXへ)
(5)クローズアップからミドルショットへ
(6)モノローグから実際のセリフへ


このようにギャップの前後では実に様々な要素が変化していることがわかる。これらの要素によって大きなギャップがつくられ、四コマ目がアニメの中に定位される。ここまでやってようやく「落ち」が視聴者にしっかりと伝わるのである(上記の手法以外にも、声優による演技ももちろんギャップを生むものだ。しかし、本稿ではあえて演出的手法のみに着目することで、演出の持つ力そのものを浮き彫りにしたいと考えている)。


ギャップの手法を種類別にみると、視覚〈(3)、(4)、(5)〉、音響〈(1)、(6)〉、時間〈(2)〉と分けることができる。つまり、映像がもつ全ての要素において変化が見られるのである。特に上の3つ(1)(2)(3)は使用頻度が高い。


付け加えると、実はこのギャップ以外に小さなギャップがある。それは転(ボケ)と結(ツッコミ)の間にあるギャップであり、QTBとSEに起因するものだ。上の例では承(前振り)と転(ボケ)の間に最大のギャップが来たが、ギャグの種類・展開によってはギャップの位置が転と結の間にずれ込むこともある。


もう一つ例を示す。アニメ6話Bパートより。原作では2巻135ページの二コマ目〜四コマ目に該当するシーンである。

話としては「目を閉じても絵が描けるかと思ったら、全然描けなかった」というものである。ギャップは三コマ目のラストカット(堀、佐倉、若松の横顔)と四コマ目(野崎が描いた絵)の間にある。


図からギャップに由来するアニメの手法を挙げると
(1)BGMのON/OFF
(2)三コマ目におけるタメ(前振り)
(3)カッティング
(4)ボケでのSE
(5)TB
となる。


一つ目の例と同様にBGMやタメが効果的に使われていることがわかる。


異なる点を挙げるとすれば、タメの作り方である。一つ目の例では「前振り」のセリフが多かったため、自然と尺が伸び、それがタメとなっていた。しかし、こちらの例だとセリフが少ない。では、どうしたか。カットを増やしたのである。原作にはない野崎がペンを動かすカットや、堀たちの反応を挿入することで、意図的に尺を伸ばしている。これは時間の経過を描けるアニメならではの対処である。


細かい指摘をすると、「四コマ目」が2カットに分かれているのも先ほどの例とは異なる。これについては、カットを分けることでボケとツッコミの間にまた別のギャップをつくっているということなのだが、詳しくは7章で述べる。


まとめ
ギャップには大きく分けて、視覚的変化、音響的変化、時間的変化の三つがある。中でもBGMのON/OFFやカッティング、ボケ前の長いタメ(前振り)、ボケる際のSEは頻繁に使われる手法である。

4.四コマ目にならなかった四コマ目

ここまでの話をまとめると、「四コマ目」をつくるにはギャップをつくればいいという話になる。これは裏を返せば、四コマ漫画の「四コマ目」をアニメで「四コマ目」にしたくないのであれば、ギャップをつくらなければ良いということだ。


しかしそんな、わざわざ「四コマ目」を「四コマ目」にしない、なんてことがあるのだろうか、と思う方がいるかもしれない。それは原作の落ちを潰す行為にも等しい。


だが、これがあるのである。


5話Bパートの終盤より、佐倉が野崎に弁当を返すシーンを見てほしい。

このシーンには落ち前のギャップというのが存在しない(BGMが途切れない、四コマ目でカットが割られない、誇張表現が一切ない)。野崎と佐倉の心温まるやりとりを描いている。少しも落ちていない。むしろ佐倉の健気さに野崎が一瞬心寄せられたようにすら見える。アニメにおいてこのシーンはおそらく重要な布石なのだ。


では原作ではどうなのかというと、ちゃんと落ちている。野崎がマミコになろうキャンペーンを懲りずに継続しようかと言うのを佐倉が引き気味に断わっており、絵的にも滑稽なものになっている。


アニメと原作とでセリフが一切変わっていないにも関わらず、演出を変えることでかくも印象的なシーンに変化したのである。受け手はセリフだけを聞いて、シーンの状況を判断してはいない。映像から来るすべての情報を見聞きし、そこからギャップを感じ取ることで、状況を見極めているのである。


まとめ
ギャップをつくらないことで、原作では「四コマ目」のカットを「四コマ目」でなくすこともできる。「落ち」にしたくないコマや「落ち」にしないことで全体のテンポが良くなるコマに対しては、こういった手法が用いられる。


≪中編に続く≫