そのとき、なぜカメラは動くのか?−アニメにおけるPANワーク・TU/TBワークの整理−

大半のアニメにはカメラが動く瞬間というのがある。
Fix主義っぽいアニメでも、
重箱の隅をつついてみると意外とカメラが動くカットが見つかったり…。
ことPAN・TU/TBに関しては重要な局面で使われることも多い。
そこには何かしらの演出意図があるように見える。


本稿では、そんな「カメラが動く瞬間」にフォーカスをあてたいと思っている。
どうして、そこでカメラが動くのか?
その答えを素人目線から探っていきたいと思う。


取り上げるカメラワークとしては以下の三つ。
・じわTU/TB…主観的表現
・QTB…誇張的表現
・じわPAN(縦PAN、連続PAN、横PAN)…感情的表現など
演出的効果が特に大きいと思われるカメラワークを選んでみた。
それぞれがどういった視覚効果を与え、視聴者の感情に訴えかけてくるのか。
例を挙げつつ見ていきたいと思う。

1.じわTU/TB ≪主観的表現≫

※じわTU/TB…じわじわとトラックアップ/バックすること

惡の華』1話 じわTU例
こんなふうに、じわじわとカメラが被写体に寄っていく。
(動いてないように見えるかもしれないけれど、ちゃんと寄っています)


惡の華』はロトスコープということもあって、基本的にFixだったけれど、
じわTUのようにアニメチックな演出をするシーンも見られた。


以下、例を参照しつつ具体的に見ていく。

例A.じわTUを繰り返す


惡の華と春日のバックショットが交互に移るシーン。
TUと表記したカットでじわTUしている。
じわじわと春日にカメラが寄っているのがポイント。
これを三回繰り返すことで、次第に視聴者は春日に意識をフォーカスするようになる。
視聴者と春日の心理的距離がじわTUによって接近していくように感じる。
春日の心中で「鬱屈した思い」が芽生えていく過程、
そこに視聴者の意識が同調していくような感覚がある。

例B.じわTU+POV(主観ショット)


床に落ちた佐伯さんの体操着袋をじっと見つめる春日。
ここも、じわTUを上手く活用している。
まず「春日へのじわTU」で視聴者が春日の感情に寄る。
続くカットで「体操着袋へのじわTU」。ここは春日のPOVでもある。
じわTU+春日のPOV。こうすることで、体操着へのただならぬ執着が伝わってくる。
さらにいえば、最初にじわTUで心理的距離感が縮むので
このPOVは春日の視線であり、かつ視聴者の視線とも言える。
じわTU+POVによって、視聴者との同調効果も狙っているように感じる。
もちろん、体操着袋のカット2つに挟まれて、春日の顔どアップが入っているのも効果的だ。


このように、じわTUは主観性が強く、
視聴者が登場人物の感情に没入してしまうような引力のある演出だと言える。
一方で、ロングFixのような定点観測演出は情景的であり、
心理的距離の離れた、客観性の強い演出と言えるかもしれない。

例C.じわTU+POV(主観ショット)


放浪息子』1話
先ほどの『惡の華』の体操着袋を女性服に変えれば『放浪息子』になる。
「二鳥視点で姉の服を見るカット」と「二鳥へのじわTU」が交互に映ることで、
何を言わずとも、彼の女装への執着が視聴者に伝わってくる。

例D.Fix→じわTU


けいおん!!』24話
卒業する軽音部3年らが在校生の中野梓に向けて「天使にふれたよ!」を演奏するシーン。
中野梓の反応だけを順番に切り取って見てみると、
序盤から中盤にいくに従い、顔をそむけたり、目が潤んでいくのがわかる。
そして終盤でじわTUを3回入れている。
演出方針をFixからじわTUに切り替えているのがポイント。
終盤の一番感動的なシーンでじわTUを使うことで、より感動的なものにしている。
中野梓へカメラが寄っていくことの意味をしっかりと押さえておきたい。
Fixだけではここまでの同調効果は得づらいように思う。


ここまでじわTUについて考えてきた。
続いてじわTBを用いた演出例にも少しだけ触れたいと思う。

例E.じわTUとじわTBの使い分け


けいおん!!』13話
最初のTU→POVの繋ぎは『惡の華』や『放浪息子』で見た例と同じ。
続くカットで花火の鳴る音がして、皆で花火を見に行こうという流れ。ここはロング。



次が問題のじわTB。じわじわと梓からカメラが引いていく。
なぜ引くのかというと、ここでは梓が「自分一人が取り残される」と思っているから。
3年生は受験勉強で忙しく、夏休みでもなかなか会う時間がとれない。
半年後には皆卒業してしまう。
TU→POVで先輩達との楽しい時間を切り取りつつも
内心では「私だけが置いていかれる」という想いがある。
その心情をじわTBで、カメラを離していくことで表現している。
このじわTBがあるからこそ、
続くカットで唯が手を差し伸べる行為が大いに意味を持ってくる。


…という感じで、じわTU/TBの効果を見てきたけれど、
TU/TBといえば説明的な描写に使用されることも多いように思う。

『日常』1話 視線誘導TU例
例えば視線誘導をするときなど。
このカットではTUを使って、背中のゼンマイに視線が行くように図っている。
(TU/TBだけでなく、PANにも同種の視線誘導がある)


≪まとめ≫
・じわTU…視聴者と被写体との心的距離を近づける効果がある。POVとの連用が有効。
・じわTB…被写体の孤立感を際立たせる効果がある。ここでは書かなかったけれど、視聴者との心理的距離を離すときに使われることもある。

2.QTBと誇張表現

※QTB…急速トラックバックのこと

ご注文はうさぎですか?』10話 QTB例
最近は日常系アニメで見る機会が多いような気がするQTB。
強調したいボケやツッコミ、ドーンと見せたいオブジェクトがある場合に使われたりする。
漫画における「集中線」のような効果がある。
だいたいはそれっぽいSE(ビューンとか、上手く言えないけれど)と合わせて使われる。


一方で、QTB自体はかなりインパクトの強い演出なので、
作品によっては「リアル」が損われるとして禁じ手にされることもある。


例えば、同じ日常系作品でも『あいうら』ではQTBは使用されない。
それは『あいうら』のギャグがQTB的なギャグではないから。
基本的に淡々とした日常会話と漫才で構成され、画面はFix縛り。
よほど変なことをするときにだけ「イメージBG+PAN等のカメラワーク」を使う。

そういった演出のルールを敷くことで世界観を保持している。


日常系やコメディでは「変なこと」をしたときに、
どういった演出方法を採用するかが一つのポイントかもしれない。
それはQTBしかり、QTU、急速パンしかり。
他にもSEやイメージBG、流パン、漫符オノマトペ、チビキャラ、フレームイン…。
どれをどう組み合わせて使うかでギャグのテンションが大きく変わってくる。


誇張表現について、いくつか例を出すと、

未確認で進行形』 流パン例
流パンは被写体の動きとシンクロし、芝居の印象を誇張することがある。
例のように動作が一方向的なもので、レイアウトが横の構図の場合に使用される。
(縦の構図だとQTBとか集中線とかになる)



僕らはみんな河合荘』 チビキャラ・オノマトペ・イメージBG等々例
真面目モードから一転してギャグになる演出。
2カット目と3カット目でテンションに違いにあわせて、
器用に誇張表現を変えている点にも注目したい。



ゆゆ式』 長尺Fix例
インパクトのある演出をガンガン放り込むこともあれば、
ゆゆ式』のこのカットはFix長回し(20秒ほど)で、ボケからツッコミまでをやる。
ここでは淡々とした日常漫才を見せたいので、QTBのような誇張表現は必要ない。



場面が変われば、「QTB+SE+集中線的なイメージBG」という誇張演出を採ることも。
ギャグの性質によって演出の方針が変わっているのがポイント。
ゆゆ式』は演出の範囲がリアル系から誇張表現系までだいぶ幅広かった印象がある。


≪まとめ≫
・QTB…強調したいボケやツッコミ、オブジェクトに対して使われ、集中線に似た効果を持つ。QTBを頻繁に使うアニメはだいたいテンションが高くなる。誇張表現であるため、リアル志向のアニメにはあまり適さない。
・誇張表現…QTB、QTU、急速パン、流パン、イメージBG、SEなど。

3.縦PAN ≪感情的表現≫


あいうら』 PAN UP例
さあカメラが下から〜という感じで、全身をなめていくPAN UP。
感情的表現ではないけれど、縦PAN演出の代表格のひとつ。


もう少し情感ある演出について見てみると、例えば

僕らはみんな河合荘』12話
矢印はPANの向きを示している。
宇佐が律先輩からメールアドレスを教えてもらった直後にカメラが動く。
律先輩と宇佐の気持ちが高揚する感覚を
色彩の変化と合わせて、上向きのじわパンで表現している。



ちはやふる2』25話
(キャプ絵は下PANしているカットを抜粋。カット割りの順序ではない。)
競技かるたとの向き合い方に悩み、綿谷新への想いが縺れ、己を見失いかけている千早。
そんな彼女の心境に同調するかのように、
カメラは下向きにじわPANし、物憂げな雰囲気を演出する。



(上と同様に、キャプ絵は上PANしているカットを抜粋。カット割りの順序ではない。)
それが綿谷新のある言葉をきっかけにして、心にあったつっかかりが解けていく。
心境の変化を境にPANも上向きに変わる。


≪まとめ≫
縦PAN…PAN UPは気持ちの高ぶりを、PAN DOWNは気持ちの落ち込みを表すことがある。じわTUと比較すると、寄っていく感覚は弱いように感じる。ここには書かなかったが、説明的描写の一つに場面頭・場面尻でPAN UP・PAN DOWNする演出がある。


以上の二例は、PANの方向(上向き下向き)に明確な意味をもたせていると思われる。
しかし、すべてのアニメがそうだとは限らない。
PANの向きに意味がある演出もあれば、パンすることそれ自体に意味がある演出もある。

4.連続PAN ≪感情的表現≫


『一週間フレンズ』12話
環境音やFix、ロングを使った客観性の強い演出が随所に見られた12話。
日常風景を切り取ったかのような画面が淡々と続いていく。
しかし、終盤でカメラが動く。
藤宮さんがすすり泣く声をきっかけに、
それまで無音だったところにBGMが流れ、
アップで畳みかけるようにPANが連鎖していく。
藤宮さんの「長谷君ともっと友達になりたい」「けれど、どうしたらいいかわからない」
というその思いの丈を感情を顕わにしてぶつけていく。
そんな感情が高ぶる瞬間を、
PAN+BGM+アップショットの演出で情感あるものに仕立てている。
Fixではカバーできないような感情の揺らぎを連続的にPANすることで表現している。



ラブライブ!2期』11話
穂乃果たち在校生組が3年生にある重大な告白をする直前のシーン。
μ'sのメンバー皆をPANしながら見せていく。
各々の感情が揺れ動く場面でPANを使っているのがポイント。
PANの向きが均等に振り分けられているのは、
メンバーを対等に扱おうとしたためだと思う(穂乃果を除いて)。
11話はこのあとの駅ホームでのやりとりでもPANを使用しており、
同様に情感あるシーンに仕上がっていた。



蟲師 続章』1話
蟲師 続章』には印象的なPANが多かった。
特に1話のこのシーンはPANが何カットにもわたって続いていく。
かなり稀な例。なぜそうしたのか。
理由の一つに、ここは登場人物が過去を回想する場面だったというのがあると思う。
過去と今を区別するために、過去話ではPANを使った。
実際にこのシーンの後、現在に戻った瞬間に、怒涛のPANラッシュは止んでいる。
もちろん、情感あるシーンにしたかったというのもあるだろうけれど。
いずれにしても、PANの連鎖はそのシーンを特別なものへと変化させる力がある


≪まとめ≫
連続PAN…Fixシーンとの差別化を図る。Fixでは表現できないような感情の揺れ動きを表現する際に使われることがある。

5.連続横PAN ≪流れていく表現≫

前項の連続PANとも関連する。

フルーツバスケット』OP
蟲師』に続いて長濱博史氏の演出関連ということで『フルバ』OP。
ほぼ全カットが止め絵+左向きのじわPANで構成されている。
長濱氏のPANワークはこの辺りですでに完成していたのかもしれない。
横PANの連鎖は流れていく情景を見せる。
Fixで留まらない、淀まない感覚。ただただ情景が流れ去っていく。
同じカメラワークの繰り返しに、カット同士が強い繋がりを持っている。
もしもこのOPがFixだったら…?
PANかFixかで受ける印象は大きく異なると思う。
あるいはもしこれが縦PANであれば、
「流れ去っていく」という感覚はなかなか得られないように思う。



ましろ色シンフォニー』1話
BGオンリーじわPAN例。
「ここはこういう街並みですよ」みたいな説明に使ったりする。
とりあえず背景をPANすると、なんかいい感じに撮れる(漠然)。
逆にFixで撮ると、その背景が主役のような印象を受けたり。
例えば『のんのんびより』ではBGオンリーをFixでよく撮っていたけれど、
あれは背景が主役だったから(もちろん、一番の主役は登場人物らに他ならないけれど)。
PANすると主役ではなくなる。ただただ流れていくだけ。
一概には断定できないけれど、漠然とそんな印象がある。
(実際に風景を見せる際は横PANで繋ぎつつ、たまにFixを混ぜたりとか色々あるけれど)


連続横PANではカットの絵が次々と流れていく。
カットの構図を一枚一枚ちゃんと見るというよりは、
むしろ「流れていく」という事象そのものに捕われる感覚がある



ちはやふる2』25話
横PAN三連続カットからの真島太一アップ。
千早のお見舞いにかるた部皆で何か買っていこうというくだり。
皆で買うものを相談しているのだけど、真島部長は心ここにあらず。
何か別のことを考えている。
肉まん君や机君の会話がぜんぜん耳に入っていない感じを
3回横PANで絵を流していくことで上手く表現していると思った。
横PANされているかるた部メンバーらはここでは主役ではない、みたいな。
そういうニュアンスを横PANでは作れたりすることがある。


≪まとめ≫
連続横PAN…カット単体による静的な印象よりも、連続的にカットが流れ去っていくという動的な印象を与える。カットごとの意味よりも、モンタージュに意味がある。古くから止め絵を魅力的に見せる技として重宝されてきた部分もある。

結び

大半のアニメにはカメラが動く瞬間がある。
では、なぜそこでカメラは動くのか。
それは、そこではカメラが動いた方が良い絵ができるからだ。当たり前だけれど。


Fixではカバーできない領域がある。
例えば、主観性の強い表現や誇張表現、流れていく表現など。


Fixならリアルな絵が撮れるだろうし、
レイアウトと作画が良ければFixだけで全て事足りるのかもしれない。
こう言ってはなんだが、管理人はFixが大好きだ。
アニメにハマったきっかけもとあるFix主義の演出家がきっかけだった。


けれど、ちょっとしたカメラワークが与える破壊力、これを忘れてはいけない。
感動的なシーン、そこにはカメラワークの存在が必ずと言っていいほどある。
そのことを少しでもいいから知っておくことで、
アニメの楽しみ方もまた少し豊かなものになるのではないだろうか。