アニメOP演出試論 ―映像が刻むビート― 後編

ダッチアングルと動線

構図の三大要素はショットサイズ、フレーミング、アングルだ(と管理人は思っている)が、そのうち被写体の動線(動く方向・軌道)に深く関与するのが「アングル」である。具体的に述べると、水平ショットは静的だが、ダッチアングルは動的なニュアンスを与える。

単純に考えて、水平ならボールは動かないが、傾斜なら転がっていく。この感覚がそのまま「水平ショット/ダッチアングル」が与えるニュアンスに対応する。つまり、ダッチアングルには転がりやすい方向と転がりにくい方向がある。一方、水平ショットにはそれがない。むろん、ダッチアングルの斜面というのは実際に斜面であるわけではないだろう。しかし、そんなの関係ないのである。なぜなら映像ではたしかに傾いているからだ。



たとえば『棺姫のチャイカAB』OPのこのカットは、転がりやすい方向にチャイカが下っていくわけである。登るチャイカもいるが、下る方のチャイカが明らかに強調されている。斜面であることがチャイカの歩みを強める。ちなみにカメラ自身も斜面に沿って下がっていく。



それに対して、このカットでは斜面に対して抗っているのがわかる。なぜ抗うのか。それは装鎧竜(ドラグーン)が上昇するからである。つまりそこには負荷がある。ダッチアングルはそのような負荷を捉え、誇張して見せる。


棺姫のチャイカAB』OPはダッチアングルが頻繁に登場するが、それらはいずれも「より動きやすく/より動きにくく」といった動線の制御と密接に関わっている。とくに「より動きやすく」なるように使われる。ダッチアングルあるところに動きあり、と言ってもいい。そのようにして、『棺姫のチャイカAB』OPはスピーディな動きを生みだしていく。

要点
・ダッチアングルの負荷に従う→動きやすい
・ダッチアングルの負荷に抗う→動きにくい

動線の接続/切断

しかし、そうしてできた動線の流れはカットが変われば、途切れてしまうかもしれない。繋ぎたいのであれば、最低限、動線の方向(とその速度)を一致させる必要があるだろう。たとえば「左・左・左」といったふうに、である。しかし、ここでその障壁となるのがカッティングにおける逆張りの原則である。

つまり、「左がきたら右」、「上が来たら下」といったように方向性に偏りができないように、バランスよく上下左右を振るという原則だ。そこにおいて「右・右・右・右」のように偏った繋ぎは完全にアウトである*1。『七つの大罪』OPはその原則を徹底してつられているように見える。極端な例ではあるが、こうすることで映像に変化を与えているのだ。


しかし、そうなると動線はどうやって繋げばいいのかということになる。「右方向・右方向」くらいならギリギリ繋げそうだが、それ以上だと難しそうだ。

まじっく快斗1412』OPのこのカットでは、カット内にいろんな方向の動きを入れている。具体的には「右・左・後・前・上・下」ということで、これはつまり逆張りの連続である。しかし、カットが割られない。ゆえに、快斗の動きが途切れないように見える。動線が繋がっているように見える。



天体のメソッド』EDであるが、1カットであれば、このようにきれいに動線と速度を繋げることができるわけである。しかも、逆張りではなく回転させながらスムーズに繋げる。

「斜め」の要素もちゃんといれる。回転軸はしっかり「斜め」だ。その方が勢いよく回るからである。

さらに、着地も「斜め」。「斜め」にすることで不安定な状態を維持する。何が何でも動きを止めない。そこにノエルが円軌道で落ちてきて、その勢いで速度が繋がっていく。このように1カットであれば、動線とその速度は繋げられるのだ。


あるいは、逆張りまでの間隔を伸ばすことで、動線をできるだけ長く繋ぐ。

『チャイカAB』OPでは、「速さ」を利用して逆張りまでの間隔を伸ばす。速い動きは止め絵よりも飽きさせないからである。具体的にはダッチアングルの「動きやすさ」を利用し、動線とその速度がある程度のスパン継続するように設計している。そしてダッチアングルに対して、水平ショットで逆張りする。ダッチアングルが紡いだ動線と速度は、水平ショットによって切断される。 そのように切断して、次の展開へと繋げていく*2


動線や速度を繋げる上で、「斜め」であることは重要な要素の一つなのだ。

斜めから入っていくその勢いで回転し、間にフラッシュ(日の出)が挟まるが、それでもカット尻の動線・速度をしっかりと捉え、トラックバック動線・速度に繋げている。ここにおいて、速さが途切れることはない。


が、いずれにしても、動線を長時間繋げることは難しい。やはり、どこかで切るのが通例だ。しかし、そういった背景を押さえた上で、『チャイカAB』OPのサビを見てみると、これが実に綺麗な形で一本の動線とその速度がずーっと繋がっているのである。詳しく見てみよう。

このシーンでは動線と速度が途切れない。肝となるのは、動線の矢印が斜めを向いている点だ。どういうことか。たとえば、最初の「左下」から「左上」という動線の繋ぎは、左向きの動線を繋げつつ、上下という逆張りを効かせているわけである。繋げつつ、逆張りする。これがこのシーン最大のギミックだ。


さらに、このシーンではカットの切り替えがすべてディゾルブによって行われる。こうすることで、カットによる「切断」を最小限にまで抑え込む。


そしてもうひとつ指摘すべきは、それは、「左から右へ」、「右から左へ」方向が変わる箇所にある。そこではカットが割られることはない。その代わり、被写体が動く向きを変えるのである。そのようにして、方向転換し、速度を調整し*3、繋げている*4 *5。カット内でなら方向転換をスムーズにできるという上記の話はここに繋がる。


もちろん、ダッチアングルのシーンではしっかりと斜面の負荷を利用した動きをしている。


このように、このサビのシーンは「繋げる志向」演出のオンパレードで構成されている。ゆえに、動線が途切れない。速さが継続する。こういった背景が(おそらく)あるおかげで、私たちはサビのシーンにふさわしいスピード感ある映像を堪能できるわけである*6 *7 *8


動線とその速度の統制はOPに等速的な「スピード感」を与える。それはビートが刻む「リズム感」とは異質のものだ。が、この二つはいずれもOP映像の要である。動線を繋いだスピード感ある映像と、カットやアクセントでリズム感を主張する映像。「スピード感」や「リズム感」が楽曲と綺麗に合致したとき、そこに「映像的快感」が生まれる。

要点
・OPには逆張りの原則がある。逆張りは基本的に切断の効果を持つ。
・傾斜は勢いある動きを生みだし、後継へと繋げる力がある。
・『チャイカAB』OPのサビは斜めの動線とカット内の方向転換で繋ぐ。

終わりに

以上、「オン/オフビート」、「接続/切断」、「カッティング」、「演出的アクセント」、「動線」、「速度」といったキーワードから、アニメOPについて色々と書いてみた。本エントリではだいぶミクロな話に寄ったが、一方でマクロな構成に関する考察も当然重要だろう。たとえば、登場人物をどう出すか、どういった物語にするか、モチーフはどうするか、などである。あるいは、もっとメロディとカット割りや歌詞と演出の関連に注目する必要もあるだろう。つまり、取りこぼした観点はまだいくらでもあるということだ。


が、何を書こうと、どういった理由づけをしようと、良いOPは良いOPなのである。カット割りがどうのこうのと言うより、「上手く言えないけど良かった!」と言うのがある意味では一番本質を捉えている。


「じゃあなんでこんな記事書いたの?」という話だが、それは具体化する作業にもそれなりに意味があると思っているからだ。それは、人に伝えるため?ノウハウを知るため?作家の意図を探るため?それもないことはない。けれど、もっと重要なのは、抽象度の果てしなさを知るためである。それは言葉にして、言葉の使えなさ(と自分の考察力のなさ)を知ることで、実感する感覚だと思う。そういった過程を経てあらためて「映像ってやっぱりすげぇ…」となるのである。


何が言いたいかというと、OP映像を楽しむときは基本的に考えないで感じる方針で見て、それでも飽き足りなければ、たまに拍子を数えたりとかして……みたいな、個人的にはそんな感じでいいと思うのである。

*1:何かしらの意図があれば、別である。たとえばその反復に意味を持たせたい場合など。

*2:本題からは外れるが、動線を切る際に、色空間の白黒も反転させることでさらに「切断」の印象を強めている。『チャイカAB』OPはこのように色構成の面を見ても巧みである。たとえば、Bメロまでは画面を暗く保ち、サビで一気に明るくするといったギミックもコントラストをうまく効かせた演出である。

*3:最初に述べた装鎧竜(ドラグーン)が上昇する箇所である。

*4:方向転換したり、速さを持続させる上で、空を飛ぶ生物というのは使い勝手が良いのかもしれない。身も蓋もない話だが。

*5:チャイカがアップショットで振り向くカットはトリッキーだ。カメラが右にPANするのに対して、チャイカが左へ振り返ることで方向を逆転させているわけだが、ここの拍は「3・4・1・2」である。オンビートでわかりやすい。しかし、そこで「切断」されることはない。何故なら、切断の力を動線の繋がりとディゾルブで抑え込んでいるからだ。そして、振り向く動作は「1・2」にあたる。つまり、この振り向きは踏み出すイメージと合致する。つまり、完全に流れに乗っているわけである。流れに乗って、方向転換するわけである。まったく切断される気配がない。楽曲のビートからはきれいに外れての振り向きは、音楽的というよりも物語的なニュアンスを含むようにも見受けられる。

*6:ちなみに中編で取り上げた『selector spread WIXOSS』OPのAメロも動線が繋がっているように見える。これは1カット的に撮っているので、そもそも切れようがないわけだが、それに加えてアクセントを使ってガンガン踏み込んでいくのである。その勢いで繋げていくような印象がある。それはいわば力業であり、アクセントを入れない『チャイカAB』のサビとはその設計思想が根本的に異なる。

*7:本エントリではまったく触れなかったが、『チャイカAB』OPとはある意味で正反対の設計思想にあるのが『四月は君の嘘』のOPである。『君嘘』ではカットごとの絵を作り込む反面、動線や速度の繋ぎ(付け加えるなら色空間すらも)を景気良くぶった切っていく。その代わり、カッティングの速度変化やオン/オフビートでテンポを演出し、ぶった切っても通用するような構成を作り込む。スピード感よりもリズムを重視した演出。ゆえに躍動感あるOPとなる。

*8:泣く子も黙るPSYCHO-PASS 2』OPは、動線の繋ぎにはそこまで神経質ではない。が、速度に関しては繋がるようにしっかりと統制している。急加速や急減速の際はアクセントを入れて、速度を急変させる。そして、色や撮影の凝りようもさることながら、演出的アクセントを入れるタイミングもまたずば抜けて洗練されたものである。つまり、中編で扱ったオフビートに合わせているわけだが、それだけではない。このOPでは「裏拍」も使うのだ。これがかなり効いてくる。たとえばイントロ〜Aメロでは、人の動き(やテロップ)は「2、4拍目」でアクセントを打ち、エフェクトやフラッシュ、ノイズを裏拍に置く。そして、それを繰り返したりするわけである。そこでは、アクセントがきめ細かく(半拍間隔で)設置され、それらが強烈な繰り返しのビートを刻む(「ウンタンウンタン」ではなく、「ウンタッタンウンタッタン」というリズム)。まさに「映像がビートを刻む」を地で行くのがこのOPである。全体の構成としては、イントロ〜Aメロではオフビート+裏拍でテンポをつくり、Bメロでいったんクールダウン、そしてサビでは怒涛のランダムカッティングでテンションをピークにまで持っていき、終盤はオンビートメインで勢いを落としていく。不規則に演出しているようにみえて、その実相当ロジカルに組まれているように思う。