『四月は君の嘘』6話の演出を語る

6話は澤部椿の孤独を描く。彼女は有馬公生と宮園かをりの幸福を願い、一歩引く。彼女はそうして自分の本心に嘘をつく。


6話では、そういった一歩引いた「距離感」をレイアウト(人物配置)に落とし込む。

つまり、上の図のように
・1レイヤー(横の構図)は近そう
・2レイヤー(縦の構図)は遠そう
といった感覚を、椿と有馬の関係性に落とし込んでいく。



椿は有馬との距離が遠ざかったと思い込んでいる。だから、6話における椿と有馬の人物配置は基本的にずーっと2レイヤー(縦)で描かれる。しかし、それが1レイヤー(横)になる瞬間がある。それがラストシーンだ。そこで彼女のわだかまりは解消される。


以上が本エントリの主旨である。6話はこのような「配置」で二人を徹底的に分けていく。


以降では、上の話を主軸に、6話の人物配置について色々と見ていきたいと思う。*1


≪6話のスタッフ≫
脚本:吉岡たかを
絵コンテ・演出:井端義秀
作画監督:野々下いおり、浅賀和行(演奏)、愛敬由紀子(総)


上で述べたように、椿と有馬は基本的に「縦」で描かれる(原作・ストーリーの段階からそうなるように配置される)。間には宮園というカベがいる。椿は近づこうにも近づけない。そもそも近づこうとする気すらない。



それに対して、宮園は「縦」のカベを楽々と越える。レイヤー間を自在に行き来する。宮園はゆえに自由に動きまわる存在として映る。



椿は有馬から離れることしかしない。「縦」のカベを自ら越えることはない(作り手の事情としては、不用意に近づけさせない)。



椿と宮園の下校シーン。歩きながらの会話には「横列」と「縦列」があるが、ここでは「縦列」。絵的にもメンタル的にも、宮園は椿の一歩前を行っている。



分かれ道では、被写体の意志が強く反映されることがある。この場合だと、有馬のもとへ引き返せる宮園と、方向転換できない椿、というふうにそれぞれの意志が対照的に描き出される。宮園は自由に動くことができる。対する椿は不自由だ。*2


この場所はラストにもう一度出てくる。そのとき、椿は「成長したか/しなかったか」「方向転換できたのか/できなかったのか」が明らかとなる。印象的な同ポはそういった差分を強調してみせる。



椿の携帯に先輩から電話がかかってくる。ここでのカッティングは、先輩と椿を「横」的に繋げながらも、向き合っていない(背中を向け合っている)ことを強調する。しかし、宮園と有馬は違う。彼らは背中を向け合いながらでも視線が交わる。どちらも背を向け合ってはいるが、その関係性はまるで違う。


背中を向け合うのは、単に「反りが合っていない」か、背中を向けても問題ないほどに「信頼している」かのどちらかだ。同じように背を向け合っていても、この2組は両極端に映る。いや、同じようだからこそ、そこでの差がより浮き彫りとなると言うべきか。



「私達付き合いましょうか」と言う椿だが、彼女の目は映らない。その言葉に彼女の本心はない。



ここでは二人は向き合わない。それは宮園が有馬に対して、罪の意識を抱いているからだ。つまり、有馬にピアノを無理やり弾かせてしまったことに対して、である。しかし、有馬は違う。彼女の方を向かなくてもいいほどに、彼女を信頼し、感謝している。だから、無理に彼女の方を見ない。自然体でいる。


背中あわせには大別するとネガティブな印象とポジティブな印象の二つがある。さきほどの椿と先輩の関係はネガティブだった。ここでは、宮園はネガティブだが、有馬はポジティブといったふうに分けて見ることができる。



基本的に有馬は宮園に目を向けない。が、本当に伝えたい言葉は相手の目を見て伝える。「君に救ってもらって」「苦しいのは当たり前で」までは1カットのロングで、続く「海図のない航路を行く」でアップ。もっとも「ポジティブ」で「主体的」な言葉を「アップ」で「目を見て」伝える。カットを割ることでカメラを一気に近づける。そこで強調し、テンションのギャップを見せる。



そして、一番伝えたい言葉を(有馬のアップではなく)宮園のアップにかぶせていく。「ほかの誰でもない、宮園に言っているのだ」という強烈なイメージを描いてみせる。同方向・速度の横PAN、オーバーラップ、カットをまたぐ視線・セリフと水平ショット*3で、カットによる断絶を最小限に弱め、有馬の視線はPANに乗って、きれいに宮園へと届く。両者の関係は「横」的に繋がれる。とても美しい繋がりだ。こうして有馬の言葉は宮園にストレートに伝わる。



彼らの初対面は「縦」だった。しかし、今は「縦」にも「横」にもなれる。彼らはそういった信頼関係で結ばれている。



宮園のわだかまりが解けたことで、彼女は振り向き、身体の向きが有馬と一致する。ここにおいて、ちゃんと向き合う必要はない。普通の横並びだ。二人はちゃんと向き合わずとも、きっともう大丈夫なのである。


Bパート。ここからいよいよ「縦/横」の演出を利かせてくる。

椿と有馬は「縦」的に繋がる。



対する宮園は相変わらず「縦」の壁を悠々と越えていき、引きこもる有馬を外へと引っ張り出す。



ここも「縦」。*4



Aパートと同様、カベとして立ちはだかる宮園。椿にとって、有馬は先の先にいる。宮園のカベ、音楽というカベは椿が越えるには高過ぎる。



そんな椿が「横」になるのは、先輩といるとき。しかし、窓越しから撮ったこの構図は、サッシが二人を分断するかのようにも見える。



椿と有馬は「縦」。レイヤーが違う。有馬と宮園がいるレイヤー(世界)に椿はいない。「“私達”に私はいない」。



かつての二人は「横」で繋がっていた。いつも一緒、どんな時でもそばにいて、「横」だった。



それが今は「縦」。いつのまにか、レイヤーが分かれていた。


椿が自分から有馬のいるレイヤーに赴くことは難しいだろう。本心のままに動くのが恐いというのもあるだろう。が、なによりも、有馬を想うからこそ、椿は一歩引く。椿はもう自力では動けない。椿を救い出すには、誰かの力が必要だ。



それこそが有馬の役目だ。彼は椿が越えられなかった「縦」のカベを突破してやってきてくれる。そこで彼女は気がつく。有馬がちゃんと椿のことを気にかけてくれていたことに。レイヤーで分断されたと思っていたのは椿だけだったのだ(「縦」は椿の主観だったともいえる)。



先述の通り、ここはAパートで椿と宮園が下校したシーンと同じ場所。Aパートで椿は「自ら方向転換ができない」者として描かれた。同じ場所を再び出すのは、椿が「変われたか/変われなかったか」を見せるためだ。むろん、その答えは「変われなかった」だ。彼女は方向転換しない。が、ここにおいて、彼女は方向転換する必要がない。行く先に求める相手がいるからだ。


そもそも、彼女は方向転換せずとも、ずっと有馬と同じ道を歩んできたのである。ある意味では、方向転換しなかったからこそ、彼女は有馬との思い出を紡いでこられた、とも言えるだろう。方向転換しなかったことに、ずっと一緒にいたことに、そうして彼女は価値を見出すようになる。「変わらない」=「今まで通り」でいることの価値を再確認する。そのトリガーとなったのは、もちろん有馬だ。



そうして、二人は「横」で繋がる。ここでやっと「横」になる。ようやく二人は繋がった。1レイヤーによる二人だけの世界。ここにおいて、椿は自分にも有馬との間に共通の非言語があったことを噛みしめる。*5


「縦」だと思い込んでいた椿は、有馬の接近によって「縦」ではなかったことを知り、自己肯定される。こうして彼女はようやく新しいスタートラインに立った。今はケガをしていて歩けない。が、有馬から得た力で、彼女はいつかきっと自らの足で前へ進めるようになるはずだ。

演出の着眼点
・1レイヤー(横)…距離・関係が近い(近く感じる)、閉鎖的
・2レイヤー(縦)…距離・関係が遠い(遠く感じる)、開放的

*1:「縦/横」に関しては、込み入った話をすると、「縦だと遠く感じる」「横だと近く感じる」という一方で、「遠いから縦」「近いから横」といった捉え方も当然ある。実際に、6話では椿と有馬が実距離的に遠くに配置される。だから、そもそも「横」になりようがない(なりづらい)のである。しかし、そういった見方はある意味では作り手的な見方かもしれない。実際の視聴者は「絵を見てどう感じるか」、というレベルでモノを見るだろう。「近いか遠いか」といった感覚はそのあとに訪れる。さらに言えば、実距離の変化を見るだけでは取りこぼす部分がある。たとえば、「近いから横」であるなら、有馬と宮園はずっと「横」で描けばいい。けれどそうしない。そこには実距離以外の理由がある。その理由のひとつは、この6話(の特にBパート)が澤部椿のためにあるものだからだと考える。そこを捉えるには、実距離という事情ではなく、「縦/横」というレイアウトにあえて着眼する必要があると考えた。

*2:分かれ道ではないが、通路を利用した同種のギミックに「オフコース(道を外れる)」や「行き止まり」がある。次の記事に詳しい。
『花咲くいろは』の第1話「閉塞」、「オフ・コース」、そして「緒花の泣かせ方」 - アニメ分析/

*3:さきほどのように、俯瞰→煽りといった断絶性のあるカット割りでない

*4:本題からずれるけれど、ここの花江夏樹の「いけー椿―」って芝居が普段とは違って、ちゃんと観客っぽいというか、程よくモブっぽく演じられていてびっくりした。若くして演技の微調整がめちゃくちゃ巧い方なのだなあ…と実感。

*5:こういった「横」の表現は漫画よりもアニメの方が映えそうな気がする。コマ割り的に大変そうだし、なによりアスペクト比的に横長のアニメの方が上手くハマる感がある。同じアニメでも4:3よりも16:9の方がハマりやすいかもなあとか。あまり詳しく考えたことはないのだけど……。